不要な情報を得る容易さと、必要な情報を得る難しさ。

 

朝一番にセンセーショナルなニュースがハワイに届いた。子供の頃に耳にした事がある曲を歌われた女性歌手が、自ら命を絶たれたと言う内容だった。瞬時に、現役の歌手である彼女の娘の事が頭に浮かび、少し心が痛んだ。彼女にとっては辛く耐えられない程の悲しいニュースが、全くの他人で寝ぼけ眼の僕の耳にさえ届いた。現役の彼女を知っているだけに、彼女の母が自殺したという事実は僕には必要ないし、知りたくなかった。

 

彼女の事に興味の無い方も、故人を全く知らない子供も、テレビを見る時間がない人でさえも、この手のニュースはオートマチックにあらましを知ることになる。こういったとても簡単な報道の在り方が、『自殺』と言う言葉の意味を深く理解できない子供でさえも使う一般的な言葉に押し上げた。世の中にはもっと国民に知らせるべき重要で危険なニュースがある筈なのに、そういったニュースを手に入れる難しさは尋常ではない。

 

『需要が供給を産む』時代ではないのだけれど、需要があるから供給する輩が存在し続けているのも事実だ。このまま日本のメディアを、やりたい放題に甘やかしてはいけない。どのような情報が本当に必要か一人ひとりが吟味する癖をつけないと、甘やかしたツケは必ず親にはね返って来る。

 

水島宏明氏『藤圭子さんの自殺 テレビのニュース報道は、国際的な「ルール違反」だらけ』
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20130823-00027482/

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ムナカタケン | ラララライフ インク CEO。その他もろもろ全て。